東大医学部から松沢病院の勤務医を経て、群馬県太田市に全開放の精神病院を設立した、石川信義という偉大な精神科医がいる。
若き頃の石川信義先生は、松沢病院の体制に不満を抱き、また精神医療に最初の改悪をもたらしたライシャワー事件被疑者の主治医も務めていた。彼に対し、圧力で屈させるのではなく、対話により、患者を理解するという方針を取った。
その後、松沢を離れた後、彼は新たな主治医により拘束され、自害した。
圧力だけでは、患者の為にならないと、自然豊かな太田市の小高い山の麓を松沢病院勤務医時代と退職金のポケットマネーで買い取り、一人で手弁当で経営していき、また、病院職員には精神科以外の病院・医院から引き抜いて来た。
そして、新しい試みとして、地域住民の合意を得て、患者の社会復帰運動を全国に先駆けて行う。
共同住居・精神障碍者グループホーム・精神障碍者住宅などでのコロニー以外に三枚橋と治良門橋の中間に位置する市営住宅や県営住宅への受け入れ嘆願をしたりと、周囲に精神障碍者コロニーを作るだけでなく、太田市内の地権者や大家さんや不動産屋さんなどに精神障碍者を受け入れるように嘆願した。
現在僕や友人が住んでいるアパートもその成果である。
そして、数年後、地域生活支援センターが立ち上がる。その後、社会福祉法人格を持つ。
設立理念に:
Freedom(自由意志・自己決定),Responsibillity(責任・義務・義理),Activity(活動・働き・動き)がある。
その意味は、
利用される方々が、できるだけ行動制限の少ない治療環境の中で、自分に責任を持って立ち向かい、自分を取り戻し、生き生きと活動していけるように誠心誠意援助します。
このスローガンは、古いAB病棟の入口に銅板が掲げられている。
石川信義先生も、激務の中で次期代表として、秋田赤十字病院から檀原暢氏を招聘した。ここからが誤算続きで、自由な病院環境は狭められて行った。石川先生も檀原氏に経営権を交代する為に次期院長として、東大医学部よりより村上忠先生を招聘した。そして、石川先生は一線を退き、デイケアの顧問医として、社会復帰活動に集中する事となり、石川理事長・檀原院長体制から、檀原理事長・村上院長体制に交代する。
石川先生の場合は行政から何らかの介入があれば、折衝する。もし通らないのならば懐の短刀で自害する覚悟であった。
檀原氏の場合は行政からの介入に対しては、それに従わざるを得ないというご理解とご協力。
そして、昨年6月に日本初の全開放病棟に終止符を打った。
D病棟閉鎖病棟化のお知らせ(平成23年6月9日):
当院では先日から老朽化した外来・管理棟、A・B病棟の療養病棟群の更新のため、5月より病院新本館の工事に着手しました。
平成24年8月の新本館運用開始を目指しているところですが、それに向けてこれまで急性期治療病棟であったD棟を精神科救急病棟として運用できる準備を始めています。
これにあたり、平成23年7月1日以降D棟の出入口を施錠して閉鎖病棟として運用します。
主治医からの外出制限が指示されていない患者さんについてはこれまでと同じように個別に外出していただくことが可能です。
面会の際や外出先から戻られた際には入口のインターホンでお知らせいただくようになります。
外出のしかたなどわからない事があれば病棟スタッフにご質問下さい。
とのお知らせが昨年より掲示された。それで雨の中、タクシーで来たものだから、閉鎖病棟のD棟と開放病棟のC棟を経由して外来棟へ行く事になった。
普段はデイケア前に自転車を置いてデイケア裏から駐車場からの階段から上がる形だが、雨天に付きという訳。
それで目にした病棟入口の張り紙で、
開放病棟のC棟は:
「面会を希望される方へ」
当院では面会に対する制約がありますので、詳しくは看護室でお尋ねになり、
適切な手続きを経て面会されますようお願い致します。
閉鎖病棟のD棟は:
ここはD病棟です、関係者以外の入室をお断りします。
御用のある方はインターフォンを押して下さい
という張り紙。
これを見ると、今まで自由な院風だったかつての開かれた病棟が落ち目になってしまった事に失望感を抱く。
職員に対する各種手当てもどんどん削減されているのも否めない。
・今後病院はどうするべきなのか
・今後自分はどうするべきなのか
の転換点であるとも言えなくもない。
2012-04-11 17:36:00|投稿者 : y.ishizawa@KONMAI-573